[技術金融の現場を行く]建昌産機(韓国経済新聞)
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등록일 | 2018.11.12 | ||||
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[技術金融の現場を行く](5・終)建昌産機‥製鉄設備、品質に厳しい三菱に認められ 製鉄設備及び船舶機械の専門のメーカーである建昌産機には、通常の会社とは異なるところがあることがわかった。
それは営業部署が無いという点だ。クォン・ジェソク代表は「注文に合わせて輸出することでも手一杯なのに、あえて営業する必要がないからだ」と説明した。
建昌産機は今まで20年間、日本の三菱に製鉄設備を全量納品している。
三菱だけでなく、ハナダ、川崎、JP Steel等の日本の有名企業にも供給している。このように製品を海外に全量輸出しているせいで、国内ではあまり知られて会社でもある。クォン代表は1973年に建昌産機の前身であるトンソン重機に生産職の社員として入社後、1995年に会社を買収した。トンソン重機の社長が我が子でもない彼に会社を譲ったのは、仕事しか知らないクォン代表の誠実さを評価したからだった。 練炭を作る機械を作っていたトンソン重機は練炭産業の下向を察知してから、三菱からの技術を伝授してもらい製鉄設備を製作し始めた。もちろん最初は数多くの難関に直面した。
クォン代表は「1988年にトンソン重機が納品した、製品のうち、ほぼ70%が不良だという通知を、三菱からもらった」とし、「厳しすぎる品質基準が求められるので"ここまでして売らなければならないのか”と疑問に思うほどだった」と述べた。建昌産機は度重なる返品と修正の末、不良率を徐々に下げていった。 そして5年後の1993年には三菱から検査を委任されるほど品質レベルを高めることに成功した。現在建昌産機は自主的に品質検査をした後、日本などに輸出している。クォン代表は「三菱の厳しい品質基準のおかげで技術力を育てることができた」と三菱に感謝の気持ちを語った。 しかしながら建昌産機にも2004年円安現象と共に危機が迫った。日本に納品した後、代金を円で受けとっていた分ウォンに両替することによる収益性の悪化を避けることができなかった。クォン代表は「2006年までに為替差損が32億ウォンを超えた」とし「一日一日が非常に苦しい心情だったが、どうしようもなかった」と振り返った。資金を調達するために銀行を転々とし、藁にもすがる思いで訪れたのが技術保証基金だった。 審査を担当した技術保証基金の関係者は「技術保証基金の保証資金のうち毎年平均5%程度の損害を受けるのですが、建昌産機は技術レベルが高く損をすることはないだろうと考え支援を決定した」と述べた。技術保証基金は昨年、建昌産機に経営改善のために12億6000万ウォンの融資保証を支援した。建昌産機はこの資金でまず5軸の金属切削機を揃えるなど、生産設備を全面的に交換した。特に鉄を切断する設備は1つの軸だけが搭載された40年以上使われているものだったので、作業時間がかかりすぎだった。クォン代表は「私の人生をかける覚悟で住宅まで担保に出し買収した会社なので、途中で投げ出すことはできなかった」と振り返った。 彼の言葉通り会社は危機を乗り越え、昨年135億ウォンの売上に4億ウォンの当期純利益を上げた。このような困難を克服した後、建昌産機は三菱からの技術と品質を認められ昨年以降、物品代金の20%を前金としてもらっている。技術保証基金などの技術保証を受けた資金など約36億円の負債を、急いで返済するためである。会社の今年の目標は、総売上高260億ウォンに当期純利益20億ウォンである。技術保証基金の技術評価センターは建昌産機の製鉄設備の製造技術が国内最高水準に達すると評価した。クォン代表も「ポスコなどでも技術関連資料や諮問を求められるほど」と自慢する。 これは、30年以上培ってきた技術を持った熟練の技術者たちの貢献が大きい。会社の社員60名のうち、キャリア30年以上(50〜60代)が半分以上を占めている。クォン代表は「3年前から世代交代のために若い職員を対象に技術教育を行っている」と明かした。同社は現在、製鉄過程で廃棄物と有害物質を少なくすることができる設備を開発している。また、航空機の生産に必要な設備も研究中である。クォン代表は「2012年までに独自の技術で環境にやさしい設備の開発に成功したい」と抱負を明らかにした。
釜山=イム・ギフン記者 shagger@hankyung.com
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